こんな時間の使い方に物申されるのか?

小説を一冊読み切ったのだけれど、想像力というか記憶することとか考えることが苦手になってしまってミステリ小説だと誰がどんな人物かを頭に入れながら読むことが困難になってしまった。

種明かしがされたところでも、驚きとかパズルのピースがそろったみたいな爽快感がなくて「つまりどういうことだってばよ?」となってしまう。だったらミステリ小説を読むのはやめてみようと思うのだけれど、今度は読みたいものが見つからない。

 

それに無理に本を読む必要もないのだ。でもなぜか図書館に足が向いてしまう。出かけるには、図書館は素敵な場所だ。お金がかからずに入ることができる。本屋やブックオフで立ち読みしてもいいのだけれど雑誌は読む気しないし、漫画もなんか違う気がしてしまう。小説を立ち読みで済ませることはできないし、やっぱり図書館で小説を読むというところに戻ってきてしまう。

 

エッセイなんか読みやすくて良さそうな気がしたけれど図書館に置いてあるめぼしいエッセイは読んでしまったし、興味のない人のエッセイを読むよりは興味のある人のブログを読んだ方がおもしろい。

 

何も考えずに見れるアニメが一番観ていて心に害がないと思う。「クレヨンしんちゃん」とか「らきすた」とか日常系アニメがabemaTVではずっと流れてるのでそれを見てれば時間は驚くほど速く過ぎて行ってしまう。それがいいことなのか悪いことなのかよくわからない。

 

心に害があるのは、嫌な思い出を思い出すような時だ。ふと昔のシーンを思い出すことがある。トラウマともちょっと違う。当時は楽しかったシーンでも今思い出すと、悪気なく人を傷つけていたなとか、逆に自分は気付いてなかったけど嫌味を言われてたんだなと今になって思い出して気づくことがある。そういうことが特に体調が悪いときによく起こる。子供の頃から風邪で寝込んだりすると、昔のいやなことを思い出したりするのだが、人によってはこれがある人とない人がいるみたいだ。後者を心底うらやましく思う。

 

大人になってからは仕事に関してのことが特に思い出したくないので、職業もののドラマは見たくないし、ワイドショーで誰かが責められてるのもききたくない。

 

「頑張っている人が好き」「尊敬し合える関係がいい」などの言葉も苦手だ。そういうことを言ってる人がいるとさけたくなる。頑張ること、尊敬されることはもちろん良いことなんだけど、あえてそれを口にする人から常に監視されてるような気がしてしまう。「あいつ、がんばってるな、よしよし」とか「今、尊敬できる言葉言ったな、合格」みたいな感じで上から監視されてるような気がして対等な関係には、なれないと思ってしまう。自分の思考回路がおかしいだけなのだが、この気持ちを理解してもらおうとすると、「それは考えすぎなんだと思うよ、そうやって考えるのはやっぱり真面目なんだと思うよ」とまた上から監視目線で言われてしまうループなのだ。