鮎まつりとは…
鮎まつりというのに誘われたので、ヒマだしいいよって返事してから非常に後悔した。今日は暑い。暑くて何も楽しめる気がしなかった。でもいいよって返事してしまったので、行ってきた。
川沿いでとれたてのアユの塩焼きでもふるまうのかなあ…めっちゃ熱いだろうな…。でもめったにできない経験だし話のネタになりそう。
と思いながら鮎まつりについて調べてみたら、街中に出店が出てるだけの様だった。そこまで車で1時間以上かけていくようだ。そんな祭りなら近所でも行われる。非常に憂鬱である。
ついてみたら案の定灼熱で少し歩いただけでこの場にいたくないと思った。一緒に行った友達が買ったから揚げをひとつだけもらった。食欲はないのでそれ以外は何も食べなかった。持参した冷たいお茶だけ飲んでいた。
友達はかき氷も食べていた。
歩行者天国で大道芸をやっていたのでとりあえず眺めたが大道芸もそんなに珍しがるものでもない。
一通り歩いてみたけど魅かれる出店もなくベローチェでコーヒーを飲んでまた1時間以上かけて車で送ってもらった。
何も食べず終始おとなしかった自分に誘ってくれた友達だって楽しくなかったはずだろう。そもそも体調が万全じゃないのに日中外を出歩くお誘いなどは断ればよかったのだ。不愉快な思いをさせてしまっただろうと後悔していた。
そしたら「急に誘ったのに付き合ってくれてありがとう、また遊ぼうね!」的なラインがきた。涙が出てきた。
口紅の色変えたね
何年も前の話だが、同じ職場でモラハラ的な言動が苦手だなあと思っていた先輩男性から「口紅の色変えたね」と言われてとても嫌な気分になったことがある。
というか、その先輩に限っての話であるが、私が職場に傘を持ってきているのを把握していて、「昨日は持ってきてたのに、今日は持ってきてないんだね」とかちょっと気持ち悪いところあったな…。
女性のちょっとした変化に気付ける男性はモテる、みたいなことを聞いたことがあるがやっぱり女性が好意を寄せている場合のみ可、だと思う。
ついでに思い出したのだがその先輩はレーシックの手術を受けていて時々瞬きがおかしかった気がする。そしてあるとき私にレーシックの手術を勧めてきたのだが、レーシック難民という言葉が頭に浮かんで、手術するほどは自分は目が悪くないとかなんとか言ってやんわり断ったのだ。
時は流れて私はまつ毛エクステをしていた時期があったのだが、目がこすれないとか、まつ毛に負荷がかかるとかいろいろな理由から、たったの1か月で外してしまった。
外して1か月くらいたったころ、その先輩に言われたのだが、「まつ毛エクステって経験浅い人が施行したりしてトラブルがたくさん出てるらしいけど大丈夫?」
私はとっくに自分に合わないから外したけどトラブルはなかったと答えたら、「俺ってあんまり人のまつ毛とか見てないからさ、付けたって聞いてたからどうなのかと思って」
レーシックについての不安はないようだが他人のマツエクに不安を抱き、あんまり人のこと見てないアピールもかっこついてないなと思った。
タイトルは良いよね
最近は特に書き殴りたいようなこともないのでブログの更新頻度が減ってしまった。
ほとんどの時間を寝ることに費やしてあとはアニメや映画を見ることくらいしかしてないけど全然外に出てないわけでもないという感じだ。
映画を見ても感想が浮かんでこず、「ふーん」という感じで終わる。「メメント」という映画は何回か見ないと理解できない映画らしいが、その通りで全く訳が分からなかった。わからなすぎてどこに疑問を持っていいのかすらわからないくらいだ。考察サイトなどを読んでも、「そんなシーンあったっけ?」という感じである。そんな映画でも最後まで見てしまうほど感動に飢えている。映画を観終わった後の感動というか爽快感みたいなものを味わうことができていない。
昨日はテレビでたまたま放送していた「誘惑は嵐の夜に」というマイナー映画を見たけどマジで「ふーん」という感じの映画だった。母と子の体が入れ替わって、なんやかんやあって最後は戻るという映画だ。誰が見ても「ふーん」という感じだろう。無駄にエロいシーンがあるのでそういう人向けなのかもしれないが、それ目的で見るとしたら物足りなさもある。
4月にアベマで放送されていたクレヨンしんちゃんの映画では感動して泣いた。野原一家が海外へ引っ越すことになるのだが、風間君だけ見送りに来ないのだけど、最終的には野原一家が乗り込んだ電車の窓から土手に立つ風間君をしんのすけが見つけるという場面。クレしん映画の中で個人的に一番泣けるシーンである。やはりクレヨンしんちゃんのヒロインは風間君なのだ。
お金が欲しいです
以前書いたブログで、通ってる整骨院の新人さんがテキパキ仕事をこなせるようになっていた、という内容のものを書いた気がするが、その人が「今までの新人で一番覚えが遅い」と怒られているのを聞いてしまった。傍から見れば仕事をこなせてるようであったが一緒に働いてる人たちにとってはそうではないらしい。
もしわたしがそこで働くことになったら、きっと同じことを言われるであろう。
あのような仕事は一つのことに集中するのではなく、いろんなことに注意を傾けなければならない。なかなか難しく、混乱しそうだ。
私は今仕事をしていないが「何もしなかったら治らないよ」と言われて仕事をすることを勧められるが、職場というのは病院のリハビリ施設ではないことをなぜわからないのだろうか。
私が通っている町医者は受付の人がやめてしまって、受付がない状況である。医者は時折、働くようにというがそういうのならそこの病院で雇ってほしいものである。病人なりの労働力で満足できるというのなら。